外国人学生が語る『ふるさとの街と福岡』
あったかサロン
(財)福岡国際交流協会 大会議室(福岡市役所北別館5F)
毎月第3木曜日18時30分~
福岡で学ぶ外国人学生にふるさと街の歴史や生活、家族のこと、来福の経緯や今後の夢などを話してもらい、市民の外国人学生への理解と支援の和を広げることを目的としています。
●次回以降の講座の受講者を募集してます。
●これまでの講座内容
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2009/12/17 第44回 【前編】 12月17日(木) 語り手 ノナ・アボルハサニさん(イラン テヘラン出身)
ノナ アボルサハニさんは、イランのテヘランご出身で、現在九州大学の医学部に在籍しています。ノナさんのご家族は3人姉妹の5人家族で、現在お姉さんはカナダに、妹さんはイランに住んでおり、3姉妹が世界に散らばって暮らしています。
ノナさんが日本へ来ることになったきっかけは留学でした。イランで修士課程を終えた後いろいろ仕事を探してみたもののいい仕事が見つからず、博士の学位の必要性を感じたため博士課程への進学を決めました。しかしながら、イランでは女性で博士課程に進学することが難しかったため外国で博士号を取得することを考え、医学部専攻ということからアメリカ・ドイツ・日本を留学先に絞りました。最終的には文部科学省の奨学金が決定したので、日本に留学することになりました。
ノナさんのふるさとであるイランは、その昔「ペルシャ」と呼ばれていました。「ペルシャ」という名前は、1935年以前の西側諸国でのイランの正式名称でした。1935年3月21日に当時の皇帝であったレザー・シャーが、公式な書簡には「イラン」を使うよう諸外国に要請し、それ以来「イラン」という名前が定着しました。しかしながら国内では混乱が生じたため、結局「イラン・ペルシャ」どちらの名称を使用しても構わないこととなり、現在では「イラン」は政治的、「ペルシャ」は歴史的・文化的な場合に使用されているとのことです。
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2009/12/17 第44回 【中編】 12月17日(木) 語り手 ノナ・アボルハサニさん(イラン テヘラン出身)
国民のほとんどがイスラム教徒というイランでは、様々な戒律があります。イスラム教の女性は肌を露出することは許されないため、女性がスポーツをすることが難しく、その結果できるスポーツも制限されています。以前バンコクで行われた大会でボートレースに参加した女子選手が、協議中に足首が見えてしまったっことでイラン代表チームから追放されたことがありました。イラン国内では外国人であっても外出の際女性は必ずコートとスカーフを着用しなければならず、それを守らないと逮捕されることもあるようです。そういう意味では、男性と比べると女性への制約が多くなっています。
イランで最も人気のあるスポーツはサッカーですが、国技は意外にも?レスリング・フリースタイルです。レスリングは過去のオリンピックでたくさん金メダルを獲得しており、今でもとても盛んです。また、スキーも人気のあるスポーツの一つで、1938年に2人のドイツ人鉄道エンジニアによって始められ、現在では13のスキー場があり、そのすべてがテヘランから1~3時間の距離にあります。中でも人気の高いトチャールは1976年に開設され、最高点は4000mにも達する高地に位置しています。
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2009/12/17 第44回 【後編】 12月17日(木) 語り手 ノナ・アボルハサニさん(イラン テヘラン出身)
ノウルーズはイラン暦の元旦で、通常3月21日がこれに当たります。お正月を迎えるに当たり、日本と同じように大掃除をし、新しい洋服やお花を買うなどして新年に備えます。年末最後の水曜日には自宅で火を焚いて伝統的な歌を歌いながらその火の上を飛び越え、健康を祈願するチャハールシャンベ・スーリーという儀式をしたり、スィーズデ・ベデルと呼ばれる新年の13日目に集落の郊外にある山野に出かけて行われる終日の祝宴など、ノウルーズ前後の年末年始にはイスラム教以前の習慣に由来するとみられる春の訪れを祝う儀礼が行われるそうです。
ノナさんの今後の進路については海外で研究を続けることを希望しているそうですが、まだどこの国でとは決めていないそうです。近々日本を離れてしまうことになるかもしれませんが、福岡での生活を忘れず、またいつか福岡に帰ってきてもらいたいと思います。
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2009/11/19 第43回 【前編】 11月19日(木) 語り手 ムクタロフ・シャムハルさん(アゼルバイジャン共和国 バクー出身)
旧ソビエト連邦からの独立国家、アゼルバイジャン・バクーに生まれたムクタロフ・シャムハルさん。現在は九州大学経済学部経営学科に留学中です。故郷バクーの素敵なヨーロッパ風建造物やティーハウスでの大勢のお友達との団欒風景など、たくさんの写真を元にプレゼンテーションしてくれました。
まずは、故郷の歴史や経済のお話から。アゼルバイジャンは1830年代から約100年間は世界有数の石油産出国でした。ヒトラーの誕生日にソ連の地図をかたどったケーキを贈り「どこが欲しいか?」と尋ねたら、ヒトラーは無言でバクーの場所にチョコレートを垂らし、ここが欲しいと示した…というエピソードがあり、それほど重要視されていた街だそうです。ただ、ムクタロフさんは個人的には”国の資源は少ない方が良い”とのご意見。なぜならば国民が資源の豊かさに甘えて怠けがちになる恐れがあるからだとか。この言葉には、会場の観客からどよめきが起きました。
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2009/11/19 第43回 【後編】 11月19日(木) 語り手 ムクタロフ・シャムハルさん(アゼルバイジャン共和国 バクー出身)
彼にとって意外だった日本の現状として、街が非常にクリーンであること、分煙化が進んでいること、バスのアナウンスや店での接客が丁寧であることなどを挙げられました。また日本とアゼルバイジャンでは特に女性のファッションセンスが大きく違うそうです。アゼルバイジャンの女性はとてもおしゃれでエレガント。ご自身は男性ですが、ブランドに詳しく洗練された身なりでいらっしゃることからもわかります。
ムクタロフさんの将来としては、日本に残って仕事をしたい気持ちが40%、アゼルバイジャンに帰りたい気持ちが60%。帰国される場合はご自分で起業してコンサルティングやファイナンスの会社を経営するのが夢だそうです。日本でも母国でも益々ご活躍されることをお祈りいたします。
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2009/10/15 第42回 10月15日(木) 語り手 唐璐璐(タン ルル)さん(中華人民共和国 唐山市出身)
福岡市役所国際部の国際交流員として活躍中の唐さん。プレゼンのテーマは「思えば遠くから来たもんだ」。故郷唐山市から福岡までの長い道のりを語ってくれました。唐山市といえば唐山地震。唐さんが生まれる前のことですが、やはり親族も亡くされ、幼き日には仮設住宅の記憶もあるそうです。
小学校時代から成績優秀で副大隊長という大役を務め、大人しかった性格を積極的に変える努力をされたとか。当時中国で流行っていて、唐さんも影響を受けたものは日本のドラマやアニメ。赤い疑惑・おしん・みつばちマーヤ・一休さんなど日本でも大流行したものばかりですね。中学・高校時代は恋愛厳禁で勉強一筋。そして名門北京語言文化大学に入学し、日本文学を専攻されました。好きな作家は村上春樹や横光利一。横光利一などは日本の若者でもあまり読まないのではないでしょうか。とても渋い趣味です。
卒業後は学んだ日本語をいかして松下電器の合弁会社へ就職。社員には関西なまりの方が多く通訳には随分骨が折れたそうです。その後IT関連会社や日本大使館へ勤めた後に現在の福岡市役所へ。生き生きとした瞳が魅力的な唐さんのファンは多く、中国語を学ぶ日本人のために中国語の講演をされる予定もあると聞いています。今後も少しでも長くこの福岡で日中の架け橋として活躍して欲しいと心から願っています。
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2009/09/17 第41回 9月17日(木) 語り手 ダニエル・ホワイトさん(アメリカ オクラホマシティ出身)
現在、ダニエルさんは九州英数学館国際言語学院で学ばれています。故郷オクラホマシティの講演はクイズあり、ビデオ上映ありと盛り沢山な内容で、とても楽しいプレゼンテーションでした。ビデオはオクラホマ州の起源ともいえる土地開放に関するもの。聴講者も思わず引き込まれていました。また多数の写真を披露してくれましたが、市街地の道路の真ん中にある油田、オクラホマ名物でもある竜巻の甚大な被害状況、深刻な環境問題を引き起こす炭鉱跡地、有名なオクラホマ連邦政府ビル爆破事件に関するものなど、思わず聴講者も息を飲むような迫力のあるものばかり。あっという間に時間は過ぎていきました。
ダニエルさんのご家族の写真もありました。子供時代の可愛らしいダニエルさんは雪だるまと一緒に写っています。皆さん存知でしょうか?日本の雪だるまは頭と胴体と2段ですが、アメリカの雪だるまは必ず3段だそうです。
将来は本来の専門である経営管理・マーケティングに携わる仕事につかれるご予定だとか。スリムで長身、とても優しい口調で流暢な日本語をあやつるダニエルさんは当会のおしゃべりサロンでも人気者でした。2010年には本国アメリカへ帰国されると聞き、寂しい気持ちでいっぱいです。これからも福岡のことを第二の故郷として思い出して下さいね。
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2009/08/20 第40回 8月20日(木) 語り手 陳怡静さん(台湾 台中県清水鎮出身)
陳怡静さんは来日3年7ヶ月目。福岡大学大学院経済研究科の修士課程に在籍中です。笑顔が素敵な陳さんは、故郷である台中県清水鎮の素晴らしさや、福岡の学生交流会館での楽しい毎日について語って下さいました。
プレゼン資料には風光明媚な台中の風景写真だけでなく、台中発祥であるタピオカティーや胡椒餅、名物かき氷などグルメ・観光情報が満載。美しい高美湿地や賑やかな台湾夜市の説明を聞いていると、なんともいえない魅力的な台湾パワーが伝わってきて、すぐにでも台湾へ飛んでいきたくなってしまいます。
台湾の大学卒業後は台湾新幹線事業に携わり日本語の通訳として活躍。その後、留学生として来福、現在は勉強にアルバイトに忙しい毎日を送られています。学生交流会館の留学生仲間や、家族に囲まれた笑顔いっぱいの写真も多数公開してくれました。
お父様のことが大好きで、とても影響を受けたという陳さん。「父がいてくれたからこそ、今の私がいます。思春期に父にいつも反抗していたことを今では後悔しています。」と彼女の瞳から大きな涙がポロリ…。聴講者からは拍手が湧き起こり、思わずもらい泣きする人も。
「留学生活を含めて、今までの私の人生は本当にたくさんの人々に支えてもらって心から感謝しています」という彼女ですが、そういう陳さんの明るい笑顔こそ、日本や台湾の多くの友達や家族を支えているに違いありません。卒業後は台湾へ帰国されるそうですが、日本で学んだことを役立てて故郷の発展のために力を尽くされることでしょう。
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2009/08/05 第39回【前編】7月16日(木) 語り手 サマート・ティレバェヴさん(キルギス共和国 ビシュケク出身)
■第39回 前編
サマートさんはキルギスの警察署、最高経済裁判所、腐敗監視機関等に勤めた後、2年前にJICAのCPSA修士課程の学生として九州大学法学府で司法腐敗の研究を始めました。検察官になりたいという幼い頃からの夢へ着実に向かってく一方、初めての海外経験である日本・福岡に強い関心を抱いています。特に初めて食べた寿司・刺身には人一倍感動したそうです。
今回のプレゼンではキルギスの観光ビデオを元に、様々な視点からキルギスの特性、文化、社会情勢等について発表されました。「キルギスは山々に囲まれ、氷山や湖も数多く、今でも手付かずの自然が保たれています。例えば、標高約7000mのポベダ山や直径178kmにも及ぶイシククール湖等からは透き通る自然水が堪能できますし、また遊牧民のシンボルである馬を用いたスポーツが大自然の中で行われています。しかし今回私が特に紹介したいのは、表面に映る美しいキルギスだけではなく、その内面に隠される厳しい社会事情です。」と語ってくれたサマートさん。話は更に続きます。(第39回中編へ続く)
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2009/08/05 第39回【中編】7月16日(木) 語り手 サマート・ティレバェヴさん(キルギス共和国 ビシュケク出身)
■第39回中編(前編の続き)
「キルギスでは『花嫁の誘拐』という地域の習慣があります。これは文字通り、男性が好きな女性を妻に迎えるため夜中に誘拐を図る一種の犯罪行為です。キルギスでは遊牧民社会が発展する一方、貧富の差が激しく、それを克服するためにも「中流階級の花嫁」を手にする事が一つの経済安定への手段となっています。実際に私の妹も過去に2度も誘拐されたことがあり、人生での最大の危機となりました。」とサマートさんはありのままの事実を語って下さいました。そして、後に妹さんが自分の愛する人と結婚式を挙げることができた喜ばしい日のことを写真で紹介してくれました。(第39回後編へ続く)
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